人が何を求めているかを知る
- 日経BP社「先端技術情報センター」の記事「ケータイをパチパチしながら知的ツールとは何かを考える」を読んでみた。
- こりゃぁ、オッサンは牛後だなぁと思われちゃいますよ ( ゜∀゜)σ)´Д`)
- オッサン曰く:
[略] なにせ「あの、歩きながらケータイでパチパチやってる若いの見るとケリ……云々」という声が周り中から聞こえてくるのだから。
40・50は、鼻垂れ小僧。蓋し、50代までのサラリーマンは、駅のホームで暇つぶしにケータイ、かなり多くの人が使っていますよ。
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- 出自を問われる「知的ツール」
[略] このパチパチ・ケータイだって、それなりの理論武装をすれば立派な「知的ツール」として認知される可能性はあるはずだ。という風に考えたのだ。
京大式カードと野口先生の整理法とは別に、PDA ってモンを御存知無いはずがなかろうに…。誰がための、ためにする議論なのだろうか。PDA が人口に膾炙している所以は理論武装ではないわけである。
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- 共通点と相違点
いや、問題は「ケータイが知的ツールになるか、ならないか」ではなく、むしろ、そのありふれた「封筒」と「カード」には、なにか共通する秘密があるのではないか、ということだ。[略]
封筒とカード。共通点は、載せるデータの多くが文字情報であるという点なのだ。翻って、携帯電話はどうか。これは USA では留守電やら音声メールが多く使われていると聞く。一方、ヨーロッパでは簡素な文字メール機能がケータイの情報ツール機能として人気が高い。
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- 日本では、文字と画像。
- このへんは文化の違いなのか、どうしても音声は疎んじられる局面が生活の随所に…
- 日本では、文字と画像。
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- いま、日本でケータイをすでに情報ツールとして使っているコミュニティーと、ツールのプロバイダの双方が腐心している事案の一つは、ケータイと blog の親和性である。
- 先端技術情報については、ユーザコミュニティの中に在って知るべし。ペンを捨てよ。ケータイを持って街に出よ。
- いま、日本でケータイをすでに情報ツールとして使っているコミュニティーと、ツールのプロバイダの双方が腐心している事案の一つは、ケータイと blog の親和性である。