忘れんすなよ

 サポーター集会の感想… の前に、その内容も少し踏まえて、監督の問題点の奥の奥を勝手に想像しちゃいマス!
 想像するに、謙虚さの向きがオカシイってこと! 「俺」が偉大すぎて「俺」が押しつぶされてるってこと! 
 サポーター集会*1における社長及びGMとサポーター*2が話し合った内容が、かなり参考になった。また、これまでの新聞・テレビでの監督インタビュー、その他報道も参考にして考えてみた。そして、上記のような結論に至った。
 とにかく、けっこう賢くもあり明るく前向きな人物であるだけに、コーチ講習会でも、日常でも、様々な物事を毎日学び、吸収している筈だ。筈だというか、そのようだ。
 しかし、それをイザというときに生かせない。なぜなら、イザというときに慌てているからだ。慌てているから自分を失い、講習で学んだことと逆のことを行ってしまう。なぜ逆のことをしてしまうのか? それは、「逆のこと」が天才肌で「俺」が偉大な人の行動原理だからなのだ。
 慌てたとき、さらに謙虚になる人に対しては、誰も怒りを燃やさない。さまざまな分野のサポートセンターに勤務するかた向けの行動指針を振り返ってみよう。「まず悪いと指弾されている点について謝罪しよう。そして相手の話を最後まで異論を挟まず聞いてあげよう。」だいたい、こういうものだと思う。
 もちろん、熱いハートで地を駆け、敵と鎬を削るサッカー選手たちの監督が、すべてサポセン式の行動をすべきだとは言えない。しかし、先ず謙虚な態度で振舞うこと、これによって怒りの火を消そう。これが私にとって決定的なポイントである。
 選手や監督が乗ったバスが平塚競技場からの退出時に、仙台サポーター数十名によって囲まれた。いまから数週間前のこの事件は、覚えておられるかたも多いだろう。その際、けっして監督はサポーターとの「直接対決」に挑んではならなかったのだ。*3その日、その緊迫した場所でバスを囲んだ仙台サポーター*4は、暴徒であり、怒りに燃えていることが誰の目にも明らかなのだ。だから監督たる者は毅然とした態度でこれを阻止してはならない。すべきであったことは、バスの窓から頭を下げ、サポーターの意見のメモを関係者を通じて後日にでも受け取ることをすべきだったのだ。
 筋を通すより、正しい結果を得なければならない。美しいサッカーより、勝つ戦いをしなければならない。自分の意見を通すより、あらゆる人の考えを纏めなければならない。イザというときに慌てるのではなく、イザというときにすべきだとして予め計画していたことを、淡々と遂行しなければならない。
 リーダーがリーダーとして成長する道を、いままさに我々は見ている。いまここで、このようなどん底まで沈んでしまえば、意識改革は簡単だ。イザというとき、人に頼ろう。回りの重要な人物に具申しよう。簡単なこと。ただそれだけのこと。しかし、それが出来ない人が多いということ。これが平気でできれば、リーダーとしては余裕のヨッちゃんです。俺はともかく、それが出来る人を私は何人も見ています。
 ともにがんばりましょう。

*1:サポーター集会: サポーターのうち、希望者から抽選で選ばれた数十人が、クラブのお歴々数名と懇談する場。ベガルタ仙台では、毎年複数回開催されている。

*2:サポーター: 私を含む。

*3:もし万が一、これから数週間のうちに監督が仙台から解雇されることがあるならば、サポーターからの糾弾行為に対して「対決」し「反撃」を企てた廉で裁かれるのであろう。

*4:他所でこのように振舞っている群集の行いも、もちろん違法性が高い。しかも半ば計画性が高い。この件について裁かれるとすれば、まず首謀者の名が挙げられるべきだろう。自ら名乗り、社会的制裁を予め甘んじて受けることを待ちたい。