はじめての出会いを呪わないために

サッカー指導者が、幼い子に対するはじめてのサッカー指導に関して、もっとも大事なことは、楽しい単純なボール蹴り体験なのだと言うことが、ますますよくわかってきたつもりの私だ。
スケートのトップアスリート、村主章枝選手のスケートとの出会いは、アラスカの自宅(当時)近くの池でのスケート体験だという。強烈な楽しさを覚えているそうだ。今では近所の湖沼が凍っているという地域は少なくても、それでもスケート場ならなんとかなるのではないか。
荒川静香選手の場合は、これも自宅近くでのスケート遊びがスケートとの出会いであったのだが、彼女の場合は池ではなかった。人工的に凍らせた、かえって標準的な普通のスケート場だ。

そして、まさにそのスケート場*1は、経営する会社が変わりつつ、最終的には閉鎖に至った。時代の流れがそうだからそうなったのか、と問われるのならば、私ならばそうだとは言いたくない。たとえ仙台のそのスケート場がかつてはダイエーの子会社に属していて、また現在の荒川選手の活動の本拠地が西武鉄道系のリンクであったとしても、わたしはそれは時代の摂理として甘受するわけにはいかない。
むしろ、なぜ娯楽産業全盛の時勢にあって、冬のスポーツを制する一大コンツェルンが娯楽部門の縮小を図らねばならないのか、その根本原因と責任を感じとりたい。
また、旧・泉市七北田地区の開発にあって当時のジャスコが早々に一切の活動見切って引き上げ、実質的に移転し、現在はイオンとして近隣の他の複数地区に着々と版図を広げているのに対して、当時のダイエー七北田地区の守りに徹して、けっきょく仙台付近では大店法の新規申請の撤回、および泉店の閉鎖という残念な結果も残すに至った、その違いはどこにあるのか、そのダイナミズムも全身で感じていきたい。

理屈を捏ねるより、カラダで反応して生きたい。

たしかに世界のアラカワを産んで育てたのは彼らだが、それはどんなマッチポンプなのか。そんな勝手が許されてよいのか。素晴らしいことを始めて、幼いココロを感動させ、そのままの視線でオトナとして立派に育てて、そこで諸般の事情により今までのことをすべて忘れてください、だなんて。ムシがよすぎるというか、非道いというべきか。
百歩譲って、泉のリンクを最終的に閉めたのはコナミスポーツなのだというのならば、ではダイエーの看板が人に与えたチカラは何だったのか。

私の理解が正しければ、荒川選手がスケートの楽しさをはじめて体験した場所は、オレンジ・ワンだけなのだ。その旧・泉市高玉町のリンクは、エグザスでもコナミでもない、ダイエーのスポーツクラブの想い出なのだ。

ダイエーの買い物帰りに遊んだリンクの素晴らしい想い出を語りたい、そしてプリンスホテルアイスショーをおおぜいの人に見てもらいたい。
トップアスリートがそう思っているのなら、それが実現してもよいのではないか、と私は思う。むしろ、彼女の素晴らしい半生をとりあえず夢物語として面白おかしく清算しようとする財界の動きを感じて、私は吐き気を催すのだ。

局所的ないいかたをするのであれば、小さな八幡のリンクがフットサル場に代わったのにたいしては、忸怩たる思いがやまない。水の森を引き受けて、しかし老朽化をもって一切を終えた市の事業に対しては、残念としか言いようがない。温水プールは増や続けているのに。そして勝山企業さんは、まぁ他の事業については残念なものもあったが、しかしそもそもの本業と、そしてスケートは、今もほんとうに素晴らしい。

一般的な表現としては、京阪神や首都圏の大企業ばかりに頼ることは、とくにそれ以外の地域としては、問題があるということだ。しかし地元の行政だけですべて賄うのも無理があり、第三セクター的なバランスの取り方が、地方ごとのスポーツや文化の振興には欠かせないのだろう。

なお、仙台とその周辺にあっては、まさに小学生年代のサッカーの指導について、チームやスクールの存廃が噂される事例があり、その件についても釘をさしたい。刺せるものなら刺しまくりたい。とにかく幼少時のサッカー体験を楽しいものにするのが、大指導者の務めなのであり、もしその逆に至ったのなら、すなわち指導者として廃業すべき時なのだ。謹んでお願い申し上げる次第だ。

*1:今でいう仙台市泉区高玉町に存在した。