我がまち名取の昨日

#miyagi #natori 名取インターチェンジから100メートル程で、もう圃場に船舶が幾つも乗っています。
閖上大橋は通行止め。県道塩釜亘理線を境に海側は、牛野近くまで、ずっしりと鋭角的な何か・船舶・車両が埋め尽くしています。
閖上や小塚原に流れてきた船舶は、今にも地上を走りそうに、もとに戻ることを望んでいます。船舶が多数、田畑に乗っています。
車両は、転がり、潰され、傷み、壊れ、汚れました。もう使えません。車両が多数、田畑に乗っています。
鋭角的な何かが、上記の地域を覆い尽くしています。この瓦礫の大半はおそらく、閖上何丁目という街の、建築物やら街灯やら、職場の備品やら家財道具やら、全てが流れ着いて来た後です。この一ヶ月を通じて、表面の生き物はほとんど収容されたそうで、しかし多くの人畜の御霊がこの鋭角的な何か、おびただしい何かの間に挟まって眠っていると思われます。

大雑把に言えば、名取市付近は三陸海岸からは離れていますが、旧陸前であり宮城県であり、津波については備えはありました。三陸海岸を度々襲う大津波に対してと同様に、生き残りの行政や県民が懸命に、海外や全国の力に後押ししていただきながら、昨日時点でも、日常を復旧させるために、津波の被害と闘っています。
阪神淡路の震災や、関東大震災と違う点は、まさに津波です。近代日本において、個人が多数の家財や仕事道具を所有する現代にあって、不可抗力により多くの所有者自身の命を失い、同時に地域全体の所有物件が他人の土地に流出しています。
他人の土地に流れてきた御遺体については、流石に従前の事例や決め事に則り、粛々と手続きがされています。しかし、形ある瓦礫については、その要不用を判断すべきひとを失い、あるいは所有者が所有物を見つけられない、そういう分量なのです。